junie's blog

2020中受終了息子の備忘録と入学後の徒然

乱高下の成績~志望校選び

小6夏休み期に、先輩中受ママとやり取りしたメールを読み返していました。
「成績がぜんぜん上がらないよ~」「夫から公立にすればと嫌味を言われたよ~」
とひたすら愚痴っては、相手から「もう見守るしかない、秋からはあっという間よ」と慰めてもらっていました。思い返せばそのとおりでした。


息子の成績推移はExcelにつけていて、12月最後のサピックスオープンまでの偏差値を折れ線グラフにしたものがあります。

近似曲線を取ると、最終着地点ではなんとかわずかな右上がりを見て取れます。
しかし、その内訳といえば、恐ろしいばかりの乱高下でした。その差15!


8末や9月SOも本当にひどかったのですが、その後、10~12月にかけて猛追し、最終的には、後期SO4回の平均偏差値より5以上上の第一志望に合格したのです。

運も大きいですが、本当にラストに帳尻を合わせる子だったんだなぁと思いました。


もし、お子さんがコツコツ努力するタイプではないけれど、地頭にそこはかとない期待が持てそうなら、この最終追い上げ(ラストスパート)に期待をかけ、信じる心で臨む中受はありかなと思います。

息子は、カキシ(夏期志望校別特訓)が始まると

「絶対第一志望は変えない」と言うようになりました。同じ志望校を目指し、塾友と競い合う授業のなかで、ようやくライバル心が燃えたぎってきたようでした。(それでもなお、テレビはだらだら見るんですよ?)

 

秋以降も、自ら学校訪問したのは第一志望だけ。ちなみに第一志望は、当時の自宅・学校の沿線にあり、学校からの受験者も例年多い人気校でした。
その本丸を見据え、意思を貫くことが彼のモチベーションになっていたのは確かです。

そんな受験生に、母のネガティブ発言は禁物です。いくら目標偏差値に程遠い成績でも、「そうだね、あの学校が一番合ってるよね。そのためにやることやっていこうね!」とポジティブにエールを送り続けました。

そこだけ注意していれば、あとは塾と学校がプロの手際で導いてくれるんだと思います。


志望校は、夏時点で第三までほぼ確定。過去問購入は、有名中と私立3校に、プラス最後まで私が迷走していた都立一貫校1校を含めた四校分でした。

志望校の決め方ですが、まず第一。これは夏時点の乖離ポイントは7~8。合格可能性は30%がMAXでしたが、本人の意思強く、自動的に決まっています。

よって、第二第三は手堅く、今の成績レベルで実力を発揮できれば合格が固いところ(合格可能性70%以上)が条件です。

我が家の場合、進学先に合わせて転居も想定していたので、普通より射程範囲は広かったと思います。そのなかで、

  • 母的条件は、セレブ感強めの学校パス、人口密度高すぎパス、学バスパス
  • 父的条件は、通塾なしの進学実績に自信あり
  • 子的条件は、自由な雰囲気、きれいな校舎

あとは、過去に訪れた学校群から、インスピレーションで自然と定まりました。

 二校の優先順位は、より都心に近く交通の利便性が高いほうに。夫は、より広く「通塾無し大学進学」を豪語していたもう一方を推しましたが、息子と私の希望を通しました。


当時、夫は第三志望(夫推し校)までの入学は認めるが、それ以下の学校は行かせるつもりはない」と言っていました。
中受の先取り分をもって公立中に進み、都立狙いでよいと。
その言葉を裏付けるよう、息子を地元中の学校公開に連れていったこともありました。
(息子は見学して逆に「絶対私立に合格してやる!」との思いを強めていた)

もちろん私は「公立でいいなんて話を真に受けてやってられない!」と、塾、学校の指示通り、ひそかに第四第五も候補を挙げて、見学に行き募集要項を確認していました。この中には、母的NGな学バスの学校やセレブ系もありましたが、少なくとも息子の希望は押さえてあり、教育理念にも賛同できたところでした。

見学に本人を連れていく必要はなかったですが(誘っても来ようとしなかったというのもあるけど)、折に触れ、こういう学校もあるよ、いいところだったよ、と話はしていました。

自分にもそういう安全校があって、少なくとも母はそこへの進学を想定していてくれる、と安心感に繋がったのではと思っています。